いっき
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子育てブログを書くということ

2015年の2学期に書いてきてみた、“ささいな悩みシリーズ”。

このコンセプトを考えたのには、いくつか理由があります。1つは、

「見える意見の数を増やすことで、『みんなの“だいたい”感覚』を復活させる」

引用元:真ん中を選ぼう | ファミリーマネジメントジャーナル

というような、「相対意見の提示」という考えですが、
もう1つには、子育てをしていて、
大変な時期を過ぎてきたという実感がありました。

やるせなかったものが、満たされつつあるのかもしれない、と。
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以前ほど「これを聞いてくれ!」「これを書き残しておきたい!」という衝動に引きずり回される感覚がなくなってきました。

まあ、これには「若い自己顕示欲がひととおり落ち着いた」とか、色々と理由はあるのかもしれないけど、子育ての不安がひと段落したということもあるのかもしれないと思う。

そうだ、私の欲しかったのは、家族だったんだ

「子育て」の苦しさは『孤独』ってところに強くあったと思う。相談できない、頼れない、分からない。
それが、いつの間にか孤独じゃなくなっている。

例えば、最近は私が何かにむせて咳き込むと、
「だいじょうぶ?」
と長男が聞いてきたりする。
そこに、そこはかとない安心感がある。うれしかったのは、気づかってもらえたからじゃない。

うれしいのは、気づかってもらえたことじゃ、なく。

あるいは、ある日妹ちゃんが、
「あれ? 今日のおとうさんの服、なんかかっこいいね」
と、言ったきた時。
褒められたから嬉しいわけじゃない。

あるいは逆に息子から、「お父さん、じぶんのつくえ、すこし片づけたほうが…、いいんじゃね?」と言われて、
「そうだな、やってみてもいいね」
と思えた時。
妻の意見だったら、カチンときたかもしれない。また、まだ自我と言えるほどの自我のないころの子供の言葉は、自分の発した言葉が短絡回路ではね返ってきている感覚を受けるだけだったかもしれない。

妻の意見か私の意見か、じゃない意見が家庭の中に生まれる。「1か0か」じゃなくなって、価値観が相対されていく。

それで、空気がカジュアルになり、個人がポジションをとることができるようになる。
今までは、「子供の規範にならなくては」と思っていたから、なるべく分かりやすく『普通』にしていたし、しっかりしていなくてはならなかった。

でも、子供の方にも別個の人格ができて、親の影響を自分で取捨選択するようになったなら、私は今までよりももう少し「ヘンな人」な面も見せていられるようになる。

その認識があったとき、すごく気分が楽になった。

一家の中に、3個目以降の自我があること。その安心感。
そんな、複数の人間が、あたり前に同居していられること。

「そっか、家族って、こういうものだったんだっけ」
そんなことを思った。
いつのまにか、“家族” ができていた。

ただ「子育て」をしていたんじゃなかったんだ。
子供に対して何かをしてあげて、笑顔が返ってきたらうれしい。
子供に正しく接すると、長期的ないい方向に導いてあげられる。

たしかに、「子育て」にだって、やりがいはあった。
でも、それだけじゃない。
かぞくを、そだてていたのだ。

もう、息子には息子の性格があって、その進む方向は私のとは違う。何かを伝えても、入ったり入らなかったり、はね返ってくる手応えが違ったりがあるのだ。

そういう意味で、0歳児育児、・イヤイヤ期育児で、「うがー」ってなっている人はブログを書いてみたらいいのだと思う。

「親になろう」と決意して産むし、初めて目が追ったり、笑ってくれたりした時の可愛さと、いまのこの「孤独じゃなくなる」感覚の間の谷をどうやって越えるのか。

それはこれからも課題になっていくと思うのだけど、それが、私にとっては、「ブログを書く」ということだったのでしょう。

頭を振り絞ると、その反動で同じくらいの強さの、承認や肯定がほしくなる。それを原動力にして、fmjへの参加が始まったのだと思います。

“頑張ってる” 時期の方が、「これでいいかな? ね、これでいいよね?」という気持ちから、コミュニケーション欲が高まっていた気がする。

授乳期・夜泣き期の眠れない辛さや、イヤイヤ期のどうしていいのか分からない感じ。
そういう内圧を抱えている人は、
書くんだ、それを。
それで、それを読んでくれる誰かとつながればいい。

特に苦しみを抱える人のなかで、文などで表現する技術を少しでも持っている人は……。
「ブログ的な何か」を。

素養のある人は最初からブログでいいし、
読む人の限定されるSNSっぽいものでもいい気がする。
さらに一歩進んで、同じ気持ちを抱える仲間のいる、共同ブログを作れたら楽しい。

孤独な時には仲間がしみるから。

編集後記

で、書こうとすると急に怖くなって
「こんなアイデア、2番煎じかも」とか「誰かのアレンジ、というか焼き直しにすぎないんじゃないか」なんて想いが浮かぶかもしれない。
でも、そんなこと考えずに、どんどん発信して、別の誰かとつながればいいと思う。

そういう不安は、例えばこのシリーズにも実はあったのです。
「このネタ、あつかいとしては “悩み”ってことになっちゃうけど、こんなことで悩んでていいのかな? 子育てには、もっと苦しい時期や切実な悩みが色々あるはずなのに、私ごときの悩みを、公の場で悩んでいて、いいのかな?」
って。

でも、見なかったことにして、書かないで流してしまうことにも、かすかに引っ掛かりを感じて、そうして今学期のこのシリーズが世に出てます。

だから、あなたのやるせなさも発信したらいいのだと思う。誰かとつながって支える、そのために。

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苦しい毎日を、もうひとふんばり。
いっき(@ikkiTime)です。
普段は 「イキブロ」というブログで、ライフハック系の記事を書いています。
恐い明日を、少し親しみやすく
今日をもう少しご機嫌に。

都内在住のサラリーマン。30代です。
2児(兄妹)の子育てに、共働きの妻とともに取り組んでいます。
理詰め派の上、日がな緊張感が高いので、生きづらさを感じる場面も多いです。
いわゆる「ふつう」のお父さんになれない場合でも、あれこれ工夫して、『 このお父さんでよかった!』と思ってもらええるアイデアを、シェアしていきたいと思っています。

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