アキヅキダイスケ
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両親への感謝の表現方法としての子育て

2010-05-15 10.41.14

こんにちは。アキヅキダイスケです。

突然ですが、みなさんは自分の親への感謝をどう表現していますか?

自分は大学浪人を2年間過ごしました。自宅浪人で1年、予備校通いで1年。今思えば、この2年間、両親から特段に何か小言を言われた記憶がありません。言われたのを忘れているだけかもしれませんが、よく黙って支えてくれたと感謝しています。
金銭的にも多大な出費をかけました。
当初志望していた国立大学ではなく、公立大学へ進学し、潰しの利かない文学部を選びましたが、結果としてはそれが幸いしました。そこで今の妻にも出会いました。また、仕事にも文学部で学んだことが活きています。本当に何が幸いするのか、事前にはわからないものです。「潰しが利かない」みたいな言い方は信用できません。

数年間、回り道をしましたが、就職もできました。大学で出会った女性と結婚して子どもも生まれました。両親からしたら孫に当たります。両親は孫に会うのを楽しみにしています。お盆休み、正月休みに帰省して孫を両親に会わせる、ということは意識しています。

そういった今の自分があることへの両親への感謝の気持ちをどう表現するか。
なかなか直接表現しにくい。面と向かって感謝できていませんし、親への感謝の気持ちを歌にするようなことは身体がムズムズしてできません。率直に語る文化の家庭で育っていないからのような気がします。
思うのは、私は両親への感謝を、自分の子どもたちへのアクションとして表現すればいい、ということです。
親から子へ引き継いでいく、それが人としての真っ当なあり方のような気がしています。

こういったことを書くと、結婚しないと駄目なのか、子どもが生まれないと駄目なのか、という意見が当然あると思います。私は私の人生でしか語ることができません。独身の人、結婚しても子どもがいない人は私ではありません。その人が自分の人生として考えればいいことだと思います。決して上に書いた価値観が唯一の価値観だと主張しているわけではないことは書いておきます。
言葉は難しくて、あることを肯定的に書くことが、別のことを否定しているように受け取られることがあります。決してそうではない、ということを言い訳がましくても書いておく必要がありそうです。これはこのファミリーマネジメントジャーナルfmjに共通する姿勢だと思います。fmjは何かを否定するということは、基本的にありません。

さて、両親への感謝の気持ちを子どもへ引き継ぐ、ということですが、実はそれもよくわかっていません。毎日が試行錯誤です。冒頭に書いたことで言うと、数年間に渡って黙って見守る、ということは忍耐力が必要だと思います。それは私が親に感謝していることですね。
子育ては難しい、とは日々感じています。そのため、このfmjのような場で自分と違った意見を読むことができるのはプラスになっています。子育ての幅を広げることができるからです。

親子関係というのは、それぞれ自分たちのスタイルでやればいいんだろうと思います。そして、周囲の意見には耳を傾けつつ最終的には自分で考えたらいいのだろうと。
虐待のように明らかに誤った子育てでない限り、そのやり方について他から間違っていると言われることは無いのではないでしょうか。もし言われたら、それはアドバイスとして承っておけばいいと思います。どのように子育てを実践するかは完全に親の自由です。親としての責任は、よくわかりません。

ここでいつも引用している坂口安吾の言葉を思い出しました。
「親がなくとも、子が育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ。」(『不良少年とキリスト』)
子育てにおける親の機能はその程度ぐらいだとおもっておくぐらいでちょうどいいんじゃないかと考えています。
同じように育てても、兄弟でまったく異なった成長をしますしね。

今回はこんなところで、それではみなさん良いお年を。

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子育てサラリーマンブロガー。妻一人、子ども三人。著書『Androidスマホ&クラウド「超」仕事術』(C&R研究所)。Android使い(ZenFone2 laser、Nexus 7)。ライフハック、GTD、ジブン手帳mini、トラベラーズノート、測量野帳、MacBook Air。文学部出身、夏目漱石『草枕』。音楽は1990年代のロック中心でできています。

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