まっちゃん
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未来のわたしへ

こんにちは。まっちゃんです。
かなりおひさしぶりになります。

最後にfmjで記事を書いてから、3年半近くが過ぎました。

その頃、2歳だった娘ももう、来年の4月には小学生です。
3年半の間に下に娘が生まれ、今、2歳。
わたし自身、4つ歳をとりました。あと2年も経てば、四捨五入すると50です。(あ、主人ももちろんいますw)

「あの頃のわたしへ」と言うテーマをいただいたので、子供たちが生まれたあの頃を振り返ってみようと思います。

上の娘が生まれた頃は、初めての子育て、お母さんになったばかりで、でも、自分自身の中では、まだまだ、お仕事モード。
フリーで仕事をしていたので、自分がやらなければ、という気持ちは強いものの、思うように仕事はできないし、新しい仕事も取ってこられない。
このまま仕事ができないと、置いていかれてしまうかもしれない。。。
育児も仕事もと思っていたけれど、仕事はもうダメなのかも。。。
とモヤモヤした気持ちになって、メソメソ泣いたりしていました。

ドラマ「コウノドリ」でも取り上げられていた産後うつな状態になっていたように思います。

下の子が生まれた頃は、前のお仕事に後ろ髪引かれつつも、ほぼ実家のお仕事だけにしていました。
多少の焦りはあったけれど、私のキャパでは、二人を育てて行くのが精一杯でした。(今も進行形ですが(^^;;)

実家が近かったこともあり、下の子が生まれてからは、実家の母にたよることが多くなりました

母にたよってばかりだったのが、きっといけなかったのでしょう、下の子が生まれた年の年末年始、母が病気で急遽、入院することになりました。

実家には、半身が不自由な父が一人。

ご飯の準備や掃除洗濯、雨戸の開け閉め、実家の仕事など、父のできないことを毎日実家にやりに行くことになりました。

そして、入院中の母の様子を見に行ったり、病名を確定させるための検査についての説明や治療について、担当の先生のお話を父と聞きに行ったりと、ほぼ毎日、0歳児の子供を連れて病院に通っていました。

今思い返せば、母が入院していた頃、治るか治らないかわからない母の病気のこと、また、介護まではいかないけれど、介護に近い状態と育児が一度にやってきて、精神的にいっぱいいっぱいになっていたように思います。

この時は、介護ヘルパーさんと産後ヘルパーさんの力を借りて乗り切りました。
介護ヘルパーさん、産後ヘルパーさんに、お願いしようと提案してくれたのは、入院中の母でした。

入院した頃の母は、痛みに耐えるのが精一杯で、動くことはもちろん、喋ることもままならなかった状態でした。おそらくこの病気だろうと言う予想がつき、お薬の投与を始めて、やっと少し痛みが引き始めた頃のアドバイスでした。

私の気持ち的には、父母のことは、なんとか家族の間でやってあげたいと思っていました。

実家の仕事、実家の家事、子供の送迎や自分の家のことなどを全てやろうとしていた私に、

「あなたが倒れたら、子供たちが困ってしまうでしょう?」

と私が精神的に参ってるなと母が感じてくれてのアドバイスだったと思います。

私自身の授乳でだいぶ体力を奪われていて、体力的にもかなり落ちていたので、子供を残して、私まで倒れてしまうことはできないと思い、介護ヘルパーさんをお願いしたタイミングで、産後ヘルパーさんにもお願いしてみようと踏ん切りがつきました。

産後ヘルパーさんは、産後6ヶ月の間しかお願いできなかったので、来ていただいたのは、結局2週間の3回だけでしたが、その時のヘルパーさんには、
「大丈夫よ!子供たちは、ご飯を作って食べさせてあげられれば、家のことは後からでも大丈夫だから!」
と言ってもらい、その他にもいろいろお話ししてもらえたことで、あれもこれもやらなければと思っていた私に力を抜くことを教えてもらいました。

あの頃の私へというテーマで記事を書き始めたのですが、どちらかと言うと、未来のわたしへ伝えておきたいことが出てきました。

『産後うつは、もうこないけれど、介護と育児で悩むことは、これからもあるかもしれない。
でも、体力的にも精神的にもまいってしまう前に力を抜いて、まわりの力を借りて切り抜けるのがいいよ。』

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@kaopon19 好きなものは、沖縄、iPhone、便利なもの、ケータイ、ドリカム、踊る大捜査線etc. 自分が便利に簡単になるようにと工夫していることをお知らせしていくことで、みなさんのお役にたてればと思っています。夫と六歳と二歳の二人の娘と毎日バタバタ楽しく過ごしています。 かおメモ(仮)を立ち上げるも更新停止状態。。。

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