とし
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許すということ。再起を認めるということ。

ブログ「はれときどきくもりZ」の小説家志望ブロガーとし(@toshi586014)です。

先日Twitterで、「○○国では、過ちを犯さないことではなく、過ちを許すことを教える。なぜなら、人は過ちを犯すものだから。」という趣旨の発言を見ました。

記憶が曖昧で、どこの国の話か覚えてないので、発言内容が事実かどうかはわかりません。しかし、内容が事実か否かはともかく、その発言を見た時に、許すというのは大事なことだなあ、とわたしが感じたのは事実です。もちろん、だからと言ってやりたい放題を認めろ、と言うのではありません。親としては、子どもにきちんと教えないといけませんし、もちろん自分も過ちを犯さないように心がけなければなりません。ただ、過ちを許す社会の一員でありたいな、と感じました。

そんなことを言いながら、自分の過去を振り返ってみると、顔から火が出る思いです。しかし、ここでは、わたしの恥部に触れないことには話が進まないので、清水の舞台から飛び降りて、三回転半をするくらいの気持ちで、筆を進めます。

 

過去の過ち

 


photo credit: PAKUTASO

 

わたしは、なんとなく会社に入りました。大学生の時に出会ったMacとパソコン通信にはまっていた、という理由だけで、コンピューター関連の会社に就職しました。会社員になったのも、もっと言えば大学に行ったのも、なんとなくでした。しいて言えば、それが普通だと思いこんでいたからです。なんの疑いもなく。なんの思慮もなく。

そんなわたしが会社で働くのですから、当然ろくなものではありません。かと言って、ななやはちなものでもありません。きっと、上司たちは、あいつ大丈夫か?とハラハラしていたことでしょう。

そして、わたしが会社に入って三年目、事件は起きました。

当時わたしは、上司Aさんとわたしの二人で、あるプロジェクトを担当していました。その時の上司Aさんは、はっきり言って仕事を丸投げする人でした。黒子のバスケの黒子くん並みに、次々と発生する仕事を鋭くわたしにパスしていました。

しかし、コツコツ仕事をするけど、ぼんやりしていて何も考えていない、というわたしは、深く考えずに目の前の作業をなんとかこなすだけでした。

そして…結果は大炎上プロジェクトとなりました。

その後わたしは、所属する部の幹部Bさんにダメ人間の烙印を押されます。(直接言われた訳でなく、人づてに聞いたのですが。)

わたしは心を入れ替え、仕事に熱をいれ始めました。前回のプロジェクトで失敗した原因となった部分に、徹底的にテコ入れをしました。その甲斐あって、ようやく人並みくらいには仕事をできるようになりました。

しかし、一度付いた汚名は、なかなか返上できないものでした。わたしには、相変わらずダメ人間の烙印が深く刻まれていたのです。(これも人づてに聞きました。)

そんな折、別の上司Cさんが、どうせダメ人間ならおれがもらうよ、とわたしを拾い上げます。もちろん、当時のわたしはそんなことを知る由もありませんが、その上司Cさんの元で寝る間も惜しんで仕事に励みました。人生の中で一番仕事をした時です。結果、その時のプロジェクトは、成功とは言えませんが、及第点だねと言われるくらいの成果を出しました。

そして、それからは、プライベートを犠牲にして仕事に励み、大成功はしないけど大失敗もせずに安定して仕事をこなしていきました。

徐々に、社内での評価も良くなり、あいつになら仕事を任せられる、という言葉も聞くようになりました。しかし、わたしの心の中では、依然としてダメ人間の烙印がチリチリと痛んでいました。

 

再起のきっかけ

 


photo credit: PAKUTASO

 

そんなある日、以前わたしを拾ってくれた上司Cさんと飲みに行く機会がありました。(わたしはお酒が飲めないので、烏龍茶専門です。しかし、一気飲みは早いです。今日の豆知識コーナーでした。)その時に、わたしが予想だにしなかった言葉が、上司Cさんから飛び出しました。

以前わたしにダメ人間の烙印を押した幹部Bさんが、「わたしがいないと仕事にならない、わたしのことを必要だ」と言っている、と言うのです。わたしのその時の気持ちたるや、まさに天にも昇る心地でした。心を入れ替えてがんばってきたことは無駄ではなかったんだ、と。

その後もがんばりすぎて、うつ病になり休職してしまうのですが、まあそれは置いておいて(笑)。

 

そして話は現在に戻り

 

長々と、思い出話におつきあいくださり、ありがとうございます。

もし、許されなかったら、過去の大炎上プロジェクトを責められ続けたとしたら、わたしはきっと再起できなかったでしょう。表面上は、そんなこと気にせずやることをやるしかない、とがむしゃらに仕事をしていましたが、つねに心の中には烙印の痛みが渦巻いていました。

ダメ人間の烙印が消え、必要と言われる人間になれた時、わたしは完全に立ち直ったのです。

これから先、家族が、特に子どもが、人生において過ちを犯すことがあるかもしれません。しかし、そんな時も許すことを忘れないようにしたいと思います。もちろん、過ち自体は、叱り、説得し、正さなければなりません。その時に、過ちと本人の人格は別に扱うことも忘れないように。過ちを犯したことが悪いのであって、本人の人格そのものが悪いわけではありませんから。

罪を憎んで人を憎まず。

この言葉を胸に、許す社会の一員でありたい、そう望む日々であります。

 

編集後記

 

火曜日担当のとしです。今回の記事を書きながら、自分のダメさ加減に改めて驚きます。恥ずかしいのを通り越して、はるかM78星雲まで行ってウルトラマンと握手をしてしまいそうなくらいです。それでもこの記事を公開しようと思ったのは、ニュースやネットでやたらと人を叩くことが目に付くからです。もちろん、悪いことを悪いと言うことはいいのですが、坊主憎けりゃ袈裟どころか仏教まで憎い、というようなのは嫌だなと思います。そんな気持ちを込めて書きました。あいつ莫迦なことやってたんだな、とご笑覧くだされば、幸いです。

また、今回の記事は、fmjメンバーのGmomさんのこの記事にも触発されました。Gmomさん、ありがとうございます。

それでは、引き続きfmjをお楽しみください。

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とし

関西で、妻と三歳のやんちゃ坊主とゼロ歳の娘と四人暮らしをしています。うつ病により休職したのを機に、育休と思いきり育児に専念。育児を楽しくするちょっとした工夫を紹介していきます。ブログ『はれときどきくもりZ』主宰。 晴れた日も曇った日も人生を充実させることができるような【ちょっとした楽しさ】を取り上げています。@fmj_jp なかのひとです。

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