とし
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家族との付き合い方 ~分人によるコミュニケーション~

 

ブログ「はれときどきくもりZ」の小説家志望ブロガーとし(@toshi586014)です。

赤ちゃんが笑っている時はかわいいけど、泣き出すとかわいいと思えない。こんなわたしは母親失格ですか?

こんな風に悩んでいるママの話を聞くことがあります。

果たしてこういう考え方は母親失格なのでしょうか?

この疑問に対するわたしなりの答えをお話しする前に、『分人』について紹介します。

 

分人という考え方

 

分人とは、小説家の平野啓一郎さんの著書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』で提唱されている考え方です。

 

 

個人という概念があります。個人とはそれ以上分割できない単位であり、そこには『本質的な自分』というものがある。そういう考え方です。

しかし、その考え方は一つの矛盾を抱えていました。相手によって異なる態度を取ることに対する矛盾です。

想像してください。親と話をするとき、友達と話をするとき、会社の上司と話をするとき、お店の店員と話をするとき。話をする相手によって、自分の態度は異なります。さらに、友達という括りの中でも親密度によって態度が異なります。

このように、『態度が異なる自分』を省みて、「わたしは仮面をかぶっている」と感じたことはありませんか?

しかし、平野さんはその考え方に異を唱えます。

一人の人間の中には『本質的な自分』なんてものはないんだ、と。個人を整数の1とするなら、分人は分数のようなものだ、と。

つまり、『本質的な自分』が相手によって仮面をかぶっているのではなく、『相手によって異なる分人』が集まったものが自分を構成しているのだ、と言われるのです。

 

失格なんてない

 

長々と分人の話をしてしまいました。さて、初めの疑問に戻ります。

『赤ちゃんが笑っている時はかわいいけど、泣き出すとかわいいと思えない。こんなわたしは母親失格ですか?』

この疑問に対するわたしなりの答えは、すでにお分かりかもしれませんね。

結論から言うと『失格ではありません』。

なぜなら、『笑っている赤ちゃんに対する分人』と『泣いている赤ちゃんに対する分人』はそれぞれ別だからです。

笑っている赤ちゃんに対してはかわいいと思う分人がいて、泣いている赤ちゃんに対してはかわいくないと思う分人がいるのです。

分人はあくまでも対人関係において作られます。ですので、泣いていて大変な赤ちゃんに対してはかわいいと思えない分人が作られるのは当然のことと言えます。

というわけで、最近とても刺激を受けた平野啓一郎さんの著書から引用していろいろと理屈をこねてみました。が、わたしの言いたいことはとても単純なことです。

かわいいと思える瞬間があれば__それがたとえ少しでも__それでいいじゃない。もし、かわいいと思えなくてもそれでもいいじゃない。だって、それでも子育てするんだから、失格なんてないよ。

この考え方が正しいかどうかは分かりません。でも、そう思うことで心が楽になることができれば、それでいいじゃない。そんな風に思うのです。

 

この記事が、あなたの楽育児(たのしくラクな育児)のきっかけとなりますように。

 

編集後記

 

隔週火曜日担当のとしです。今回紹介した本はぱうぜさん(@kfpause)に教えていただきました。とても面白かったので、Postach.ioでこんな記事を書きました。新しい本との出会いは、いつも刺激に溢れています。素晴らしい本を紹介してくれたぱうぜさんに感謝です。

それでは、引き続きfmjをお楽しみください。

photo credit: ohhector via photopin cc

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とし

関西で、妻と三歳のやんちゃ坊主とゼロ歳の娘と四人暮らしをしています。うつ病により休職したのを機に、育休と思いきり育児に専念。育児を楽しくするちょっとした工夫を紹介していきます。ブログ『はれときどきくもりZ』主宰。 晴れた日も曇った日も人生を充実させることができるような【ちょっとした楽しさ】を取り上げています。@fmj_jp なかのひとです。

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