アキヅキダイスケ
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家族についてのオプションが増えると気楽になるかも

はいさい。アキヅキダイスケです。

昨日は、私はこのファミリーマネジメントジャーナルfmjで「家族のオプションを増やしたい」という話をしました。オプション増やすことは、選択肢を増やすことです。選択肢があれば、難しい状況でも気分が楽になるでしょう。たとえば学校から、会社から「逃げる」という選択肢があれば、実際に逃げるかどうかは別にして救いになると思います。
しかし、私の人生は単線です。どんなに選択肢があっても生きてきた道は一本道です。その過程で様々な可能性を選択せずに捨ててきた結果が今の自分です。それは厳粛な気持ちになります。

小学1年生の長女は、時々、ママチャリの後ろに乗りたがります。こぐのは私です。娘を後部座席に乗せて近所をぐるっと一周すると満足します。学生時代、浴衣姿のガールフレンドをママチャリの後ろに横座りで乗せて花火大会に行きたかったのを思い出しました。それは実現しなかった可能性です。実現したのは20年後、自分の娘を乗せてママチャリをこぐおじさんです。人生の美しさは、たくさんの実現しなかったことと少しの実現したことからできているようです。

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photo credit: kirainet via photopin cc

一方、私はよく「可能世界」について考えます。この可能世界は、ライプニッツとかを踏まえたものではなくて、個人的に考えていることです。簡単に言えば、自分のこの人生は無数の可能性の一つに過ぎず他の可能性でありえた世界もあるんじゃないか、という考え方です。パラレルワールドが存在していると言った方がわかりやすいかもしれません。冒頭の話と繋がるのは、自分の今の状況は数あるオプションの一つだということです。そう考えることで、自分の人生が絶対的なものではなくて相対化され、お気楽なものになるんです。

難しくなりました。言い換えると、自分の人生、そしてそれを元に私がこのfmjで書くことは絶対的な「正解」ではないということです。これが正しいという主張ではないんです。あくまで可能世界の一つですから。そう読んでもらえると、オプションの一つとして受け入れてもらえることも多いんじゃないかという気がします。もちろん私の考えやスタイルを選択しなくてもいいわけです。そこに自由があります。
自由はまた、他の家族の生活スタイルの自由も当然認めなくてはいけません。その意味で、fmjの活動は「運動」にはならないんだろうと勝手に思っています。もちろん、主宰ののりさんを初めとして他のメンバーがどんなことを考えているかは、完全に理解できてはいないでしょう。こういう私の考え方に対して、ちょっと待て、という意見があっても当然です。そういう自由がfmjにはあります。
物理的に生活の場が離れていて、私などは他のどのメンバーとも会ったことが無い、という距離感が自由を保証してくれている気もします。この距離感は、活動へのコミットメントを考えるうえにおいて、興味深いです。私はこれくらい距離のあるコミットメントだと積極的になることができます。

たまたま自分のこの人生が家族のすべてではないという感覚があった方が自由になれる気がします。自分の人生や選択や思想を守るために敵を作る必要はありません。すべての家族がオプションであり、どれが正解ということも無いんだと思います。東へ西へ動くのも、じっとその場にとどまることもどちらも正しいわけではないと。自分の生活が不安であっても、他の家族の選択を否定する必要はないと。そういう感覚を維持しつつこのfmjの記事を書いていきたいところです。
やっぱり「みんな違って、みんないい」という言葉に行き着くと思います。

何とか四日間書いて、明日は最終日です。ブラジルワールドカップもいよいよ始まりますね。実際、私の頭の中はもうサッカーで一杯です。

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子育てサラリーマンブロガー。妻一人、子ども三人。著書『Androidスマホ&クラウド「超」仕事術』(C&R研究所)。Android使い(ZenFone2 laser、Nexus 7)。ライフハック、GTD、ジブン手帳mini、トラベラーズノート、測量野帳、MacBook Air。文学部出身、夏目漱石『草枕』。音楽は1990年代のロック中心でできています。

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