くらちのりこ
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前に進むことと、足もとを掘り進めること

くらちのりこです。先々週のアキヅキさんの記事インスパイアでコレを書いています。バービーボーイズで言うところの杏子ですね。色気はみじんも持ち合わせてないのにファンの方すいません。
妻とはビジョンを共有できなくてもいいと思う話 | ファミリーマネジメントジャーナル

さて我が家ですが。

「前に進むことと、足もとを掘り進めること」
家族との暮らしはこのふたつが同時進行しています。

子どもたちの成長に合わせ、暮らしの習慣が変化し、出費が増えたり、親から子どもへの働きかけや、習い事や学習に対する用事も増えます。
それは「前進」であり、今は大変でも、今は忙しくても、未来を感じられる楽しいことでもあります。

子どもたちが少し大きくなったのでこう思うことができるようになってきました。

いまはとても忙しいけれど、未来のわたしとその家族は振り返ったときに幸せを感じられるようになると。『あのときはたいへんだったねえ。』と、笑顔で言える日がくると思いながら過ごしています。

我が家の場合、子どもたちを介した「ビジョン」は一致はしないけれど共有は出来ていると感じています。方向性、着地点、こういう風に育ってほしいという思いの部分は概ね同じ方向を向いていると私は思っています。

 

夫との関係性

いろいろいろいろいろいろ…(ありすぎて以下略)ありましたが、いまは前に進むよりも足元を掘り進めて、深めていく段階にやっと変わってきたかな?と感じています。

これは私が抱え込んできたものをすこしずつ夫へ開示し、理解してもらう努力をコツコツしてきたのが実を結んできたように思います。いや、実を結ぶというよりは『わかってほしい』を諦める・・・が、正しいかもしれません。「わかってくれない、わかってもらいたい」という気持ちで日々の出来事や困ったことを伝えても「うん、うん」と聞いてるのか聞いてないのかわからない相づちだけが返ってきます。夫婦間でも「気持ち」は「共有」されないのです。

共感と共有を混ぜない

たとえば、我が家はどうしても情報が私に集中しがちです。

学校からのお知らせプリント類の管理、サッカーチームの連絡網、自治会の打ち合わせ、お母さん同士のつきあいからわかる子どもたちの交友関係etc・・・これらをジェンダーなんとかを謳っても無理なものは無理です。そこらはもう仕方ないです。

これらを私が整理し、計画を立て、プロジェクトを作り、タスクに落とし込んで実行します。
なんだか夫は傍観しているように私からは見えていたのです。
「私はこれだけ頑張ってるのにどうしてこの人はこんなにわかってくれないんだろう?」
夫からのいい分は「君に任せていた」でした。この感覚の違い!_(┐「ε:)_ズコーですよ。

察してもらうことを諦めればうまくいく

家族があって、子どもがいて、これだけ大変なんだから言われなくても○○くらいはやってくれるだろう。そういった考えを改めました。

次に、子どもへの接し方だったり、お金の使い方だったり、家事時間のやりくりや、パートタイムとの両立など、どういうふうに困っているかを、具体的に客観的に、数値やソースを交えて話すようにしました。するといつもは「うん」とか「すん」しか言わない夫がペラペラとしゃべるではないですか!

この経験を経てから、積極的に物事を振ることにしました。プロジェクトまるごとだったりタスク単体だったりは私が配分しています。

例)
「○○までは私が出来るけどそれ以上は出来ないから□□はやってほしい。」
「△△については基本的に私マターでいいけれども、いざというときに変わってもらえるように内容は押さえておいてほしい」
「○日のサッカーはパパに送迎をお願いします」

家族であるがゆえ発生する甘えや、言わなくてもわかるだろう的な考えが減りました。夫とはいえ「他人である」ということを再認識しだしています。他人なのにこんなにいろいろ協力してくれてありがとう!と、いい意味で考えるようになりました。子どもたちはさておき夫はもとは他人なのに同じ屋根の下にくらして10数年、生活を支えてもらってますしね。

こんなこと書くと、新婚さんやアツアツ(死語?)のカップルさんにはがっかりされてしまうかもしれません。でもやっぱり夫婦だから「あ・うん」の呼吸とか「いわなくてもわかる」というのは期待しない方がいいです。そうしてるように見えるカップルや夫婦がいたら、それは見えないところできっちり、しっかり話し合いがされていてルールが明確になっているからそれが出来ていると考えた方がいいと思います。

または、どちらかがどちらかの考えに付き従って、依存してくらしているかもしれません。しかし、それは爆発します。私がそうでした。

「離婚してやる〜!」と考えたけど思いとどまった話 | くらしすたんと

 

 

 

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恋愛の熱くてキラキラした感情は数年でなくなります。
いまは、そんな燃え上がるようなことはありませんが、消えそうで消えない、素材を美味しくこんがりと焼き上げてくれる炭火のような温かさの中で暮らしています。いったん爆発したら、落ち着きました。生木を燃やしてバチバチして落ち着いたんですかね。

さいごに

出産から新生児の頃を思い出せばたいていのことは乗り越えられる。
あんなに大変だったイヤイヤ期もいまでは笑い話になってる。
たくさんの人に相談した長男の鉛筆かじりは、いまじゃ次男が絶賛発動中。

そんな日々がいまのわたしには微笑ましくうつります。
もちろん「いまいま、げんざい、ing」であるときはぜんぜん!ラクなんかじゃないですよ。いつも子どもにガミガミ言ってるし、家の中だってひっちゃかめっちゃかだし、具合の悪い日だってごはん作ってお風呂に入れなきゃいけないし、漢字の書き取りや分数の通分だって一緒に考えたり、サッカー合宿代だって稼がなきゃやってられません。

それでも振り返るとそれがしあわせに映る。

ビジョンは共通でも一致でもなくて「共有」があれば、多少のけんかやいざこざがあっても相手をグレーのままで尊重し、意見の違いを認めることが出来ると思うのです。行動を伴うときはある程度の一致は必要ですが元は他人です。完全な一致はもともと無理ゲーくらいに考えておくと。ほどよい距離感がお互いの思いやりになるのかな・・・などと書きながら思いつきました。

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のり@くらちのりこ twitter id @norixnori ブロガー 暮らし回りのあれこれを発信。子育て、片付け、暮らしかた、考え方。 夫1、男児2(小4、小1)。 神奈川県横浜市 · http://kurasistant.com/

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