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Photo by Igor Ovsyannykov on Unsplash

fmj時代を振り返って

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島根の司法書士、坂根(@sakane0958)です。
主宰ののりさんから今回の企画の打診をいただき、 久々の投稿です。

fmjに寄稿した記事を読み返してみた

のりさんからの呼びかけを踏まえ、改めて自分の投稿を振り返ってみると、最後の投稿は2014/10/03のこの記事。

Ingressの秋 親子で外へ繰り出しましょう

当時レベル5だったIngressは未だに細く長く続けていて、先日レベル14になりました(ちなみにIngressの世界ではMAXレベルが16です)。

もう3年も前なのか、と感慨深いものがありました。
月日が経つのは早いものですね。

子供達も大きくなり、夫婦の在り方も変わってきた

夫婦二人の力の多くを育児に注力していた日常が、だんだんと仕事にシフトしていったのを感じています。
そこには、もちろんだんだん子供達に手間がかからなくなってきた、という事情も大きく関与していると思います。

小さかった頃のように常時かまってやらなくても、一人で遊ぶ時間や兄妹二人で遊ぶ時間も増えました。
とはいえ、まだ仲良く遊ぶよりもケンカしている時の方が多いですが、それでも仲良く遊べる時間も見えるようになりました。

当時fmjの自己紹介は「子供2人(4歳男児、3歳女児)の父」としていましたが、その4歳児と3歳児も無事に小学生になりましたからね。
しょっちゅう病気になって小児科のお世話になっていた兄妹も、かなり健康になってきて、めっきり小児科受診の機会も減りました。
今年だと受診したのはインフルエンザにかかったときくらい。

そうそう、長らく関東の姉のところへ子守出張していた私の両親が島根に戻ってきて、子供達のお迎えだったり、病気の際の緊急対応だったりをヘルプしてもらえるのも大きい。
平常時は夫婦だけで回せても、誰かが病気になったり、出張したりということはあるので、近くに頼れる人がいるかどうか、日々の生活の安心感が全然違う、と実感しています。

子供の成長につれて生活も変わっていく

スイミングスクールや囲碁、子供神楽、音楽教室など、習い事も始めるようになり、送り迎えの手間はあるものの、送っていってから待っている間、親は自分の時間をとれるようにもなりました(この文章も、囲碁の待ち時間に書いています)。

これから先、もっと手間はかからなくなり、お金がかかるようになると噂には聞いていますが、とにもかくにも、今のこの状況も少しずつ子供の成長とともに変化していくんでしょうね。

子供達もどんどん自分のことを表現できるようになっていき、両親と子供達のお互いの理解も年を重ねることで深まっていく。
2017年、私達夫婦は結婚してから10年が経ちましたが、10年一緒にいても、やはり他人同士が暮らすわけですからいろいろありますが、だからこそ年を経ることで今でもお互いへの理解が深まっている側面がある思います。

それにより生活がスムーズになっていく面もありますし、人生が楽しくなっていく面もあると思います。
もちろん、ケンカもしますが、それもだんだんお互いうまくやれるようになるというか。
深刻な精神的ダメージを受けずに、お互いの不満を伝え合った上で折り合いをつけられるようになるというか(未だに夫婦ケンカするとダメージは受けますけど)。

夫婦の信頼関係、力関係

仕事へのシフトと関連しますが、私は夜に家にいない日が多くなり、妻が家事負担のほとんどを担ってくれています。
その分、夫婦の力関係については、自分は妻に頭が上がらない。
でもそれに不満があるかというと、そうでもない。
外での立場を理解して出させてくれているので、文句を言わずに出させてくれるだけで、もう感謝しかない。

数年前までは、自分も立場があるから出ないといけないし、「そんなん仕方ないだろ、わかってくれよ」と思ってましたが、そういう自己中な考えが表に出ていたんでしょうね。しょっちゅうぶつかっていました。
でも、僕が折れれば、それを笠に着てマウントするような妻ではありませんでしたので、そこはさすが年上女房、良妻賢母です。

当時よりも今の方が家にいない日が多いですが、信頼関係についてはかえって深まったのではないかと感じています。
外でのことを妻に相談することもありますし、そういうやりとりの中で妻も僕が外でどういうことをやっているのか、知ることができて悪い気はしないようです。

ノロケか?と言われればノロケかな。
結婚って、いいもんだと思います。個人の感想です。

木っ端微塵のハードモードから

 

お久しぶりです。
hibinoshokutakuです。

fmjで書いていた頃、子供が産まれて少し経ってたのに惑ってばかりでした。でも、子供のことを書き留めたり振り返ることを自分のブログでもそこまでしてこなかったのでとても貴重な時間でした。
また、困ったことは先輩たちがたくさんたくさん書いてるのでその知恵にとても助けられました。
私のブログは、過去の困っていて知らなくて苦しかった自分へというコンセプトを含んでいま
す。
(ブログでは書いたことないけど)
fmjは、まさにのりさんが主導していってみんなでそんな場を作っていたなぁと思います。

さて、電車好きの息子はというと。
紆余曲折あり、保育園に通園してます。
イヤイヤ期も長く、とにかく自分でやりたい!が強い。
嫌々行ってる日もあったり、お友達と仲良くしたり。
電車好きは加速して、電車イベントに行ったりついに大好きな鉄道芸人さんが行ったところま
で旅行にいきました。
ご飯食べない、は少し変わってきて少しは食べるようになってきました。
特に、お肉が好きらしくオーブンで焼いただけの鶏手羽スペアリブに豪快にかじりついてま
す。

私はというと、体調と相談しつつ仕事を始めました。
初日に、息子が手足口病を発症して病児保育に預けるというハードモード!
要は、fmjを書いていた頃難破船に乗った気持ちでしたがもっと木っ端微塵のハードモードを選んでいます。

家事育児の分担も、保育園に預けることも看病も色々悩みの種類が変わってきました。
Twitterで、先輩ママパパたちに助けてもらいながら励ましてもらって前に向かってます。
あの頃、病気を抱えていていっこうに良くならないし育児は大変で薄暗い不安をぼんやり抱え
てました。

自分の辛さだけ先にたっていましたが、最近は家事育児と仕事の両立に苦戦して一緒に倒れ込
むように寝てるだけです。
そして、いまは息子の顔をみたら可愛いが先に立つ。
しつけやトイレトレーニング、少しずつ教えるという機会が増えてきてどうやったら納得して
もらえるか必死です。

ただ、もうあの頃のように猛然と怒ったり暗く沈むようには悩みません。
何だかんだあっても息子に可愛いねーと言われたら、にやっとしてしまう自分がいたり。
そして、13キロを超えたあたりから重たくて抱っこが苦しくなってきて。
これが、離れていくことなのかな。

あの頃は、どこにいっても身につけて一心同体のような心持ちでした。
寂しくて、ぎゅうぎゅうくっついてみたり嫌がられたりくっつかれたりを繰り返してます。
こうやって、手を離れていって色々大きくなっていくのが少し切ないです。
出来ること、してあげられること、一緒にすること、ひとりですること。
様々なものが、日々刻々とまぜこぜに変わっていきます。
ここは、大変さだけでなく愉しさや面白さをみんなが発信してきたように今なら思います。
まるで、灯台のように。
この次、お互いどんな愉しみがまってるのか。

また、いつか会いましょう。

自分というエッセンスを絞り出す

自画自賛

ファミリーマネジメントジャーナル代表、くらちのりこです。
代表という役割をしているので執筆陣の描いたものを一番最初に読める、という特権があります。今回の復活更新の内容をいちはやく読みました。うれしいというかなんというか、やっぱりここに集う仲間だな、って思いました。

なぜなら、だれも過去の自分に対して「こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」というふうに考えていないのです。

「あの時の自分はこういう判断をしていた、だからこそ今の自分がある。」

と、受け止めていることがすごく素敵だな、っておもいました。

 

決めること

育児のみならず、日々暮らしていくことって判断の連続だと思います。そしてその判断が正しいかどうかもその時その瞬間すぐにわかるものでもない。
正しい正しくないで判断できるようなものじゃない事柄もたくさんあります。
仕方なく選ぶ、消去法で選んだことだってあるはず。
365日、いったいいくつの判断を重ねて、過ごしてきたのだろう?

たちどまる、やりなおす、そして進む

どんな判断も、「自分」が決めたこと。

そこさえきちんと腹落ちして受けとめていれば、なんか違うなと思ったときは分岐点まで戻って立ち止まればいい。そしてやり直すのか別の道を進むのかは自分次第。

あの頃のわたしへ

主婦であることに鬱々していたわたしがブログを通じて仲間を集め、たくさんのひとのお知恵をかり、情報発信の場を設けました。

創刊『ファミリーマネジメントジャーナル』

あの頃のわたしにかける言葉があるなら・・・・と思ったんですが。無いかな。
間違えたり辛かったり耐えたり怒ったり。
けして平坦な道のりではありませんでしたがみんなと同じように、やっぱりわたしもおもうのです。

「だからこそ、今の自分がある」

 

今のあなたへ

いまいま、ちいさな子供を抱えてはしりまわってるよー!という現役のみなさまおつかれさまです。

 

日々判断の連続。
良かれと思って差し伸べられた手や言葉に傷ついたり、子供にとって何をすることがいいのか?自分の人生と子供の人生の両立なの?とこんがらがったり、どのソースを信じていいか情報過多の時代に判断を下すというのはほんとうに厳しく苦しいものだと思います。今の時代ならでは悩みなのではないかな?と。テンプレートに沿っていただけの時代にはなかった自由がありつつも、ありすぎでもある。

ここを他人の基準に委ねると、ずっと人のせいにして生きていくことになります。
立ち止まるときもやり直す時も「心の重り」みたいなものがずっとのしかかって、スッキリしません。

参考記事 わたしの個人ブログの記事です

私のこころのベースができるまで

 

誰かが言ったことばや、あの人のいうことを聞いたり、インターネット上の伝聞は「そういうこともあるかもね。」と、話半分で大丈夫。今わたしがここに書いていることも含めて、です。

自分で調べて考えて、パートナーや信頼できる人や専門家に相談してできることを尽くしたら「自分が」決める。

たくさん悩んだり考えたりするしたくさん迷うしこれでいいのか?って考えてしまう毎日だろうけれど、その思い悩んだ日々が無駄になることはないと、わたしはおもうのです。

年末年始、こんな本を読みながら自分の「根っこ」さがし。いかがでしょうか?
Wishing you and your family a safe and prosperous New Year!!

▼あらためて夫婦という関係性を考えるきっかけになりました。

手前味噌ですが^^;

この本はかんき出版さんのポップになるほど感想を書きまくりました。

コミック版もあります。これできょうみをもったらぜひ、文章で読んでほしい!と思います。

あの頃の私へ―――fmj Xmas night 2017

ほっほい!
こんにちは,なお♪です。
毎日の育児に家事に,それにお仕事していらっしゃる方も,お疲れさまです♪

 

このたびクリスマスの夜にfmjの同窓会的復活ということで,久しぶりに2年前の記事を読み返してみました。

…驚くほど基本姿勢に変わりがない(笑)。けん玉も続けてますしね。

ブレないことを喜ぶべきか,成長がないと嘆くべきかはちょっと悩むところですが…。

 

我が家の息子タルモも,当時と比べて2学年お兄さんになりました。

担任の先生から親が不本意に呼び出されるようなことはすっかりなくなり,呼び出しどころかお電話をいただくことさえない毎日。

今の状態があたりまえかもしれないけれど,あたりまえじゃなかったあの日々を思い返すと,今のありがたさが身に沁みます。

(ちなみにあれから,「希望者のみ」の保護者面談にはむしろ積極的に毎回参加することにしています。先手必勝?!)

 

じつは半年ほど前まで,タルモには自宅でごく簡単にできる,軽いエクササイズをほぼ毎日させるようにしていました。

羊水の中でちゃぷちゃぷ泳いでいた赤ちゃんが重力のかかる世界へ生まれてきて,自分の身体を重力のなかでうまく動かすやり方を身につける過程(寝返り,おすわり,はいはい,…)で必要だった身体の動きを取り入れたようなエクササイズ。

要は,赤ちゃんのときにやり足りていなかった身体の動きをあとから充分やりきることで,身体の各部をうまく強調させて動かしたり,まわりの刺激に適切な反応をしたりできるようになることを目的としたものです。

 

もちろんタルモ自身ががんばって成長した部分もあるし,年齢的に落ち着く(はずの)時期でもあったと思うので,このエクササイズがどれほど有効だったのかはわかりません。

(今のタルモとエクササイズをせずに今を迎えたタルモとを比較することはできませんしね…。)

でも,学校で友達と不用意に喧嘩することはなくなったし,運動するときの身体の不器用さもずいぶん目立たなくなったように思います。

もしかしたら,タルモの成長具合をただ手をこまねいてハラハラみているだけじゃなく,エクササイズに日々つきあってやることで「何らかの手を打つことができている」と私自身が安心できたことも大きかったのかもしれません。

 

さて,そんなタルモはボクシングやムエタイといった格闘技に興味が出てきたようで,先日ジムへ体験レッスンに行ってきました。

高学年になったタイミングでタルモ自身が格闘技を習いたいと言い出すなんて(さすがに伝統的テコンドーではなかったけれど),まさに渡りに船。

思いっきり身体を動かして楽しみながら,ついでに実行機能も高めてくれたらいいな,と思っています。

 

さて,あの頃の私へ伝えたいこと。

やっぱりタルモは「今はまだできてないけど,この子はこの子なりにがんばってるところ」だったんだな,ともう数年経ったらわかるよ。

だから,子育てがうまくいかないと感じることがあっても,タルモを責めたり,自分を責めたりしないで,安心して今親としてできるやりかたでタルモに関わってあげたらいいと思うよ。

 

・・・みなさんの子育ても,少しずつ楽になっていきますように!

まず、自分自身を整えよう。

みなさん、お久しぶりです。

アロマテラピーインストラクター・さいたか(@sai_taka)です!

 

年末の慌ただしさを感じるようになりました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

主宰・のりさんに声をかけていただき、再び、記事をお届けすることになりました。

 

あれから、どれくらい経ったのだろう。

 

FMJには、2014年1月から参加させていただきました。

そして、最終の記事は2016年6月28日。

 

1年半ほど経っていたんですね。

長いようで短いような…。

 

何してたの? 何があったの?

 

アロマテラピーインストラクターとしては、

  • アロマ講座を1年半にわたり、毎月継続して開催させていただきました。
  • 「アロマブレンドデザイナー」資格を取得しました。

地道に、活動を続けておりました。
休日のみなので、ほんの少しずつですが…。

 

個人的なことでは、

  • 母親が、2016年8月から入院しました。
  • 9月末には、5時間以上にわたる大がかりな手術をしました。

現在も、療養中です。

 

生活習慣では、

  •  マインドフルネス
    :寝る前に瞑想をしています。1700日連続記録を達成しました。
  •  食生活の改善
    :タンパク質摂取量を多めに/炭水化物を少なめに/コーヒー絶ち
  •  ミニマリストを目指して
    :一日1つ以上、モノを減らすように頑張っています。

睡眠不足だけは、なかなか解消できません(笑)。

 

最近、思うこと。

 

外部環境を整えることから、

自分を整えることに、だんだんシフトしてきたように感じます。

 

なんだかんだ言っても、その状況をどう受け取るかは自分次第。

 

周りの状況に影響されないためには、

自分の心身を良い状態に保っていることが大切だなと。

 

あの頃の私へ、伝えたいこと。

 

まだまだ先だと思っていたことが突然起きたり、

楽しいこと・うれしいこと・悲しいこと・悔しいこと、

いろいろあるけれど、なんとかなる。

まず、自分自身を整えよう。

 

それでは、またお会いできる日まで。

by sai_taka

亀の甲より年の劫

メリークリスマス!

お久しぶりです、よしこ(@keimiesoumom)です。

久々のファミリーマネジメントジャーナル、ラストの記事はいつだったかしら。どうやらこれみたい、3年前です。いま、ケーキは3つです。

誕生の秋

この頃のわが家

さて久々で、WordPressでの記事の投稿の仕方もかなりあやしくてすみません。

そういえば、fmjが始まった日は長女の2歳の誕生日でした。歳をとるわけです。5年かぁ。この間どう変わったか。

5年前の自分に伝えたいことは、先輩の話をよく聞きなよ、ですね、亀の甲より年の劫。

3人の子どもたち

1年生だった長男はもう6年生です。春に引っ越して最終学年だけ別の小学校になってしまいました。

引っ越して学校が変わってイヤじゃなかった?と聞いてみたら、

「そりゃ同じの方がよかったけどね」

と。彼は静かに静かに成長しています。クリスマスプレゼントも特にほしいものはない(*)と言われました。このまま静かに巣立ちそう・・・

2歳だった長女も1年生です。保育園卒園のタイミングでなじみのない街に来ましたが、小学校や学童保育で友だちは多いそうで(本人談)楽しく過ごしているようです。マジメなタイプですが、緩さもあるので、あまり苦労はしなさそうです。

fmj執筆当時に誕生した次男も4歳になりました。転園した新しい保育園にも初めからがっつりなじんでいます。園内での新しいお友だち紹介では、泣きべその子たちの中で「選挙演説のように手を振りながら入場」したそうでした。

先日のクリスマス会では、サンタさんへのインタビュアーに立候補し、
「どんなおんなのひとがすきですか」
と質問したと・・・末恐ろしい・・・・

大人は健康が気になります

夫婦喧嘩する気力もないねぇ、とは夫。喧嘩はエネルギー使いますから…、3人の子どもとがっつり対峙し、仕事も頑張ろうとすると、あれこれ諍いをすることが無駄…

正直なところ、仕事に家庭にと毎日バタバタしていて、何かをじっくり考える、という機会自体がなくなっています。

そんな中でのテーマは「健康」のことですかね。

夫は、血圧高め&睡眠時はCPAP(無呼吸になりがちなので呼吸を助けるマスクみたいの)をつけています。

わたしは、乳がん検診で要精密検査になったり(検査結果待ち…)、まだ兆候はないけれど、『更年期』がちょっと気になってきました。婦人科にも一度きちんと行きたいなと。

子どもたちは長男が春に中学入学、まだまだまだまだ働かないといけません、私たち。

団塊ジュニアは自分の親たちのように、60歳、65歳定年ではそのあとがもちません。来たる100年ライフ(**)をいかに健康な状態で迎えるか・・・

子どもの成長のことにしても、健康のことにしても、決して新しい話ではなくて、これ、どこかで聞いたことがあるんです。ちょっと上の世代が普通に経験してきていること…

大丈夫、なんとかなるさ

不安もありますよ、でも、そんなに特別でも大変でもないんだと思うんです。ひとりじゃない、みんな通る道。大丈夫、なんとかなるさ。

先達の話は貴重で、自分たちの行く道の見通しが少しよくなるんですよね。特にうちは双方の母がもう亡くなっていて、いませんから余計にです。

だから、5年前の自分にも、5年後、10年後の自分にも、伝えたいことは「年の劫を大切に」です。先を行く先輩の話をどんどん聞いてみたい、苦労を労いたいし分かち合いたい。

もしかしたら、ほかのメンバーとはちょっと違う考え方かもしれません。

☆☆☆

*: そんな長男へは今夜、枕元に。

**: こっちは去年、辞めて転職しちゃった元上司のオススメ本、いま読んでます。平均寿命は延び続けてるんですって。

未来のわたしへ

こんにちは。まっちゃんです。
かなりおひさしぶりになります。

最後にfmjで記事を書いてから、3年半近くが過ぎました。

その頃、2歳だった娘ももう、来年の4月には小学生です。
3年半の間に下に娘が生まれ、今、2歳。
わたし自身、4つ歳をとりました。あと2年も経てば、四捨五入すると50です。(あ、主人ももちろんいますw)

「あの頃のわたしへ」と言うテーマをいただいたので、子供たちが生まれたあの頃を振り返ってみようと思います。

上の娘が生まれた頃は、初めての子育て、お母さんになったばかりで、でも、自分自身の中では、まだまだ、お仕事モード。
フリーで仕事をしていたので、自分がやらなければ、という気持ちは強いものの、思うように仕事はできないし、新しい仕事も取ってこられない。
このまま仕事ができないと、置いていかれてしまうかもしれない。。。
育児も仕事もと思っていたけれど、仕事はもうダメなのかも。。。
とモヤモヤした気持ちになって、メソメソ泣いたりしていました。

ドラマ「コウノドリ」でも取り上げられていた産後うつな状態になっていたように思います。

下の子が生まれた頃は、前のお仕事に後ろ髪引かれつつも、ほぼ実家のお仕事だけにしていました。
多少の焦りはあったけれど、私のキャパでは、二人を育てて行くのが精一杯でした。(今も進行形ですが(^^;;)

実家が近かったこともあり、下の子が生まれてからは、実家の母にたよることが多くなりました

母にたよってばかりだったのが、きっといけなかったのでしょう、下の子が生まれた年の年末年始、母が病気で急遽、入院することになりました。

実家には、半身が不自由な父が一人。

ご飯の準備や掃除洗濯、雨戸の開け閉め、実家の仕事など、父のできないことを毎日実家にやりに行くことになりました。

そして、入院中の母の様子を見に行ったり、病名を確定させるための検査についての説明や治療について、担当の先生のお話を父と聞きに行ったりと、ほぼ毎日、0歳児の子供を連れて病院に通っていました。

今思い返せば、母が入院していた頃、治るか治らないかわからない母の病気のこと、また、介護まではいかないけれど、介護に近い状態と育児が一度にやってきて、精神的にいっぱいいっぱいになっていたように思います。

この時は、介護ヘルパーさんと産後ヘルパーさんの力を借りて乗り切りました。
介護ヘルパーさん、産後ヘルパーさんに、お願いしようと提案してくれたのは、入院中の母でした。

入院した頃の母は、痛みに耐えるのが精一杯で、動くことはもちろん、喋ることもままならなかった状態でした。おそらくこの病気だろうと言う予想がつき、お薬の投与を始めて、やっと少し痛みが引き始めた頃のアドバイスでした。

私の気持ち的には、父母のことは、なんとか家族の間でやってあげたいと思っていました。

実家の仕事、実家の家事、子供の送迎や自分の家のことなどを全てやろうとしていた私に、

「あなたが倒れたら、子供たちが困ってしまうでしょう?」

と私が精神的に参ってるなと母が感じてくれてのアドバイスだったと思います。

私自身の授乳でだいぶ体力を奪われていて、体力的にもかなり落ちていたので、子供を残して、私まで倒れてしまうことはできないと思い、介護ヘルパーさんをお願いしたタイミングで、産後ヘルパーさんにもお願いしてみようと踏ん切りがつきました。

産後ヘルパーさんは、産後6ヶ月の間しかお願いできなかったので、来ていただいたのは、結局2週間の3回だけでしたが、その時のヘルパーさんには、
「大丈夫よ!子供たちは、ご飯を作って食べさせてあげられれば、家のことは後からでも大丈夫だから!」
と言ってもらい、その他にもいろいろお話ししてもらえたことで、あれもこれもやらなければと思っていた私に力を抜くことを教えてもらいました。

あの頃の私へというテーマで記事を書き始めたのですが、どちらかと言うと、未来のわたしへ伝えておきたいことが出てきました。

『産後うつは、もうこないけれど、介護と育児で悩むことは、これからもあるかもしれない。
でも、体力的にも精神的にもまいってしまう前に力を抜いて、まわりの力を借りて切り抜けるのがいいよ。』

コミュニケーション!コミュニケーション!コミュニケーション!

大事なことなので、3回いいました。
夫婦、あるいは恋人同士でもいいですが、パートナーとの様々な問題、家事の分担、子育て、セックスレスなどなど、はすべてコミュニケーションの問題に収斂される気がしています。

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家事の分担

家事の分担についてのコミュニケーションについては、五藤隆介さんの『フルオートでしか洗濯できない人の 男の家事』という本がおもしろく、参考になりました。家事も仕事と同じ。パートナーは仕事のチームだと思えばコミュニケーションも違ってくる。夫婦や恋人だからと特別視するからおかしなことになる。ドラマ『コウノドリ』で、ナオト・インティライミさんが演じた夫が批判されていたのはそういうことだったと思います。現実が厳しいのは、父親は叩かれるだけで、大森南朋さんのようなフォローしてくれる存在はいないということです。覚悟しましょう。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の平匡とみくりのように、ダイニングテーブルを挟んで、ホワイトボードを活用したりしながら、仕事の打合せのように夫婦も会話をすべきだと思います。

子育て

子育てにおいては、粘り強いフィードバックが必要になります。中学生の長男を見ていると、なかなか改善がされません。苛々するのですが、怒るのはよくない。よくないというより、効果が無い。粘り強く繰り返しフィードバックするしかないと思っています。アンガーマネジメントには苦労しています。理屈ではわかるのですが、できずについつい怒ってしまいます。まあ、そういう親の理不尽さや不完全さからも、子どもは学ぶのでしょう。

わかった!突然すみません。長男の問題がやはりコミュニケーションにあることがわかったのです。たとえば、当日の朝に体操服のゼッケンをお願いしてくる。当日の朝に、いつもとは違う電車に乗ることを告げてくる。そういった他の家族のアクションやスケジューリングに影響を与える情報は、遅くとも前日に、はっきりと言語化して、直接伝える、という基本ができていない。いや、この辺りを実は誰も教えてくれないのです。自ら身につけていくしかない。下手すれば、就職しても、こういった相手の都合を想像するコミュニケーションができない人がいる。

セックスレス

たぶん、fmj ではセックスについては書きませんでしたが、今回は、久しぶりということもあり、特別にかといって力まずにフラットに書いてみます。
よくあるセックスレスについては、最近、読んだ紗倉まなさんの次の言葉がど真ん中のストライクでした。

「相手から誘われること、相手とセックスを楽しむことに期待しない。相手が何を言い、理由をつけて拒否をされても、なるたけ落胆しない。あなたが好きだから、あなたとセックスしたいから、あなた以外ではだめなのだとパートナーに伝え続ける。そして、自分から誘い続ける。たまにセックス出来たら、そこに絶対的な幸せを感じられるように意識してみる。」
「大半の人間はセックスレスから逃れられないようになっている」紗倉まなが出したセックスレスの結論

あなたじゃなきゃ駄目なんです。浮気とか、不倫とか、したくない。あなたとセックスしたいんです。そういった率直なコミュニケーションをとればいいと思います。それで、拒否されても、凹まなくていい。あるいは、凹んでも落ち込んでもいいので、一回深く落ち込んだら底を蹴って再度浮上する。浮き上がったら、もう忘れている、という感じでいいんだと思います。そして、馬鹿みたいに、また、機会をとらえてアタックするのです。ノーガード戦法の打たれ強さが必要になります。
セックスレスの問題は、生物的な男女のギャップもあると思います。そこをどうクリアしていくか、それもコミュニケーションの問題と言えるでしょう。
そして、これはまあ酔っ払いの蛇足のようなものですが、セックスレスは、九鬼周造が言うところの「いき」になり得ると思いました。要するに、セックスする可能性を「諦め」とともに超越するところに「いき」があると。そう考えると、レスでもいいじゃんと。

真理は普通のこと

コミュニケーションが大事、という普通のことが真理なのでしょう。夫婦、パートナーの少なくともどちらかが決して諦めずにコミュニケーションをとる意志を持ち続けること。もちろん理想は両方に意志があることでしょうが。
ここで、ドラマ『コウノドリ』から発生した「#うちのインティライミ」という Twitter のタグ、そこに未来は無いよなあと思いました。炎上しないか少し不安ですが、話を進めると、このタグを使って無神経な夫を愚痴って共有したって、未来が無いんですよね。コミュニケーションの方向を見失っている。それって、夫に言うべきことじゃないの? そう言うと「今まで散々、夫にには伝えてきたが駄目だった」という反論が来るのは容易に想像できます。そうです、このタグを使っているお母さんたちは、もう夫とコミュニケーションをとることを諦めてしまっているんです。しかし、安西先生に言わせると「あきらめたらそこで試合終了」なんですよね。諦めてはいけない。そうすると、今度は「なんで私だけが」といった反論が来るんですが、そこには思考の罠があります。なぜ平等を求める?家事の分担もそうですが、負担の平等思想に陥っている。これ学校教育の問題でしょうけどね。大事なのは自分を第三者的な視点に置いて、平等かどうかを判定することではなくて、自分はどうするか?どうしたいのか?という考え方。そこで諦めずにコミュニケーションをとり続けることが大事だと思います。たとえば、セックスレスの問題だと、夫が粘り強さを持ち続けることが必要な場合が多いと思います。その時に「なんでいつも俺が誘うんだ、平等に妻からも誘うべきだ」というとそのおかしさもわかりますよね。「なんで自分だけが」という思考が出てきたら、それは罠だと思わないといけません。

長くなりましたので、この辺で、パートナーとのコミュニケーションを諦めてはいけない、という普通のことにたどり着いた話でした。
久しぶりの fmj でしたが、いつもどおりに今リアルに考えていることについて書いてみました。

メリー・fmj・クリスマス!(いっき編)

おはようございます! いっきです。
しゅんた連載から1年半。それの前の記事からだと2年ぶりくらいにすらなります。

その間、時間が増えて自分の時間で創作がはかどるかと思いきや、ホームグラウンドたるイキブロ)の更新頻度は、ますます重い筆になっています。
そんな日々を、親がのろのろと過ごしているうちに、子供たちはどんどんと大きくなります。

かつての上の子の年齢には、もはや下の子の方が近くなっています。
家族の課題や様相は、それにつれていつのまにか、色を変えていきますね。
とうとう、ディズニーランドに家族で行ってみたりとか。

クリスマスや誕生日を経て、我が家にはゲーム機が2台もやってきています。

ゲーム、お勉強、伝記


ゲーム


上の子にゲームを許すときに頭にあった(自分への)言い訳の一つには、「活字だけの本もまあまあ楽しめるようになったし、まあ今からなら、『ゲームだけが自分の子供時代だった』ということにはならないですむかな……」なんて目論見がありました。
でも、下の子にゲームを与えるのは、それよりも、月齢で考えて、1年以上も早くなってしまいました。

やっぱり、2人目の子育ては難しい。
少なくとも、完璧とは程遠くなる。
お菓子を与える年齢、アイスやチョコレートを与える年齢、ゲームを与える年齢、お小遣いをあげ始める時期、それにそもそも年齢ごとの最大テレビ時間にしても、もう妥協するしかない。
どうしたって、「どうして私にはダメなの?!」という発想になりますよね。下の子本人からしたら。

こっちは「上の子君だって、きみの年齢のときにはダメだったよ!」と言いたくなりますが、下の子にしてみたら、家族の中で、自分一人だけ自己決定権がない! という感覚でしょう。

家庭への情報の流入制限が破れた時点で、全子供へ解禁されてしまう。難しいものです。
そのあたり、学年別の「学校」というシステムはうらやましい。

たとえば習い事、同じようにやらせている くもん式にしても、上の子(息子)と下の子(娘)では、色合いがちがいます。
上の子のように、自分が思うようにできなかった不甲斐なさで床にひっくり返って泣いてしまうことは、下の子にはありません。

でも、席につかせて1問めを解かせるまでに、とにかく時間がかかります。

身体的にも情操的にも活発で、社交性も高そうなので、もしかすると黙々と算数をすることは、将来は苦手にするのかもしれません。
でも、ある意味では、だからこそそういう勉強習慣をいま身につけさせているようなところはあります。

お勉強


子供のころの勉強の難しいところは、勉強の内容と、勉強の方法と、勉強する習慣やその姿勢を、同時に身につけていかなければいけないところなんですよね。

「きらいにならずに楽しんでほしい」、という気持ちとともに、「目的のためならつらくて退屈なだけの練習でも受け入れられるようにもなってほしい」、という気持ちも、親にはあります。

夢中になって一晩中でも吸収するジャンルも持ってほしいけど、一晩では制覇できないような体系を、コツコツと身につけていく感覚も身につけてほしい。

若いうちには、より高次の加速度を身に付けられた方が、それだけ人生全体では、累積で大きな楽しさをもたらすことができますからね。

このあたり、下の子は、「最高のパフォーマンスで(ハイな気分で)できそうにないなら、初めからやりたくない」というようなところがあるようです。
娘ちゃんの性格を活かすなら、強い目的ができるといいのかもしれない。
表面上の集中力ではなく、執着心を生んでくれるような。

そうそう、勉強の話題でいえば、上の子は「中学受験をしたい」と言い出しました。
「くもんも順調に3学年先進度になったし、読書も習慣づいてきたし、あとは理科社会や図形、が苦手にならないように目配りを忘れなければ、本格的な介入は、次は高校生になってからでいいかな」
と、親が安心していたら、子供の方が自分でハードルを上げてくる。

「成果を焦るな!」
って、言いたくなっちゃうよ、お父ちゃんは(笑)

本当に、子育てというのは先が読めない。

まあたぶん、息子くんのスキルセット的には、『勉強に打ち込む』ことで情熱を感じられるのなら、青春の過ごし方としては、たぶん合うでしょう。
でも、やるからには、無残で実りのない負け方をしないぐらいの高みには、試験当日までに引け上げてやらなければなりますまい。
習慣や姿勢の習得だけでなく、知識や成果も、並行して習得することを目指さなくてはいけない、と。

親業は終わらないものですね。
いやいや、『父親の仕事はここからだ』と思いながら、ずっとやってきたはずの私ではないか。
新生児期やイヤイヤ期には、無能な自分という自己イメージを、その思いを心の支えに使いながら、乗り越えてきたのじゃないか。

ここでがんばらないで、なんとする。

子供に伝記をあたえてみた。


上の子に「文字だけの本」デビューさせるのに苦労したのも、今はむかし。
カメラちゃん、かぎはあさん、マジックツリーハウス、名探偵犬バディ、ズッコケ三人組ときて、最近は少年探偵団(江戸川乱歩)に夢中です。
まあ、基礎的な文字のデコード能力は身についてくれたと思っていいのでしょうか。

下の子はまだまだですが、本を音読すれば(文字くらい)、ゲーム時間を増やす、というルールでこつこつ読んでもらってます。

そんな中、2人の興味のありそうなテーマに引っ掛けて買った2冊の本。
娘にココ・シャネル(ポプラ社)。
息子にジョブズ(小学館)。
まあ、どちらも漫画伝記なわけですが。
伝記、ってものに我が家で手を出してみました。

「『えらい人の話』」なんて聞くと、漫画『ドラえもん』(例えば19巻「サンタえんとつ」)の中では、あきらかに「大人だけが読ませたがる、つまらない本」の象徴として扱われていた本です。
だから、与える親の方にも、それなりに不安はありました。結果的には漫画形式でありさえすれば、子供達も読んではくれました。
(娘の場合は、最初は読み聞かせにしました)

現実的な世界観で、自分の情熱や好きをかみ合わせるとか努力というのはどういうことかを、どう伝えたらいいかを、最近考えるようになったからかもしれません。

やはり、親は親、ということかもしれません。それぞれの時代で、そして世代で。

努力って意味では、定番の伝記でも今どきの子供に、二宮尊徳や津田梅子では、いかにも貧乏くさい。
かと言って、子供向けのストーリーで、夢中や打ち込みのシーンを、うまく “格好良さ” として見せてくれるものも、なかなか探しににくい。

いや、ファンタジーな世界観での、友情! 『努力』! 勝利(達成)! とかのアニメも私は大好きなんですが。

ベイマックスや「ヒックとドラゴン」あたりの映画ならいい線いくけど、でも、映画という100分そこそこの起承転結の中に詰め込むと、絵的にもテンション的にも激しすぎて、時間も一瞬だ。
良くも悪くも、エンターテイメントとして、手際が正しくいいですからね。

26週なり、1年なりの生活環の中で、地に足のついた努力を見せてくれると、映像としては本当はいいですけど。

なんてことをことを考えながらの次善の策で、漫画伝記はどうか、と思ったわけなのです。兄妹それぞれに対して、親としては思うことがありつつ、手を替え品を替える一端としてのアクションです。
さあ、ここからどう展開していくでしょうか。

 *   *   *   *   *   *

そう、
問題はつづく。を考え続けなければならない。
たぶん、そのいくつかは、取り越し苦労になるとしても。
そのようにして、時間は進んでいく。

編集後記


あらためまして、こんにちは。
私にとっても、久しぶりのfmjと、その読者さんとの再会です。
私の家族状況以前に、文体が1番大きく変わったかも? なんてことを、この原稿を書きながら思ったりしました。

『今日の “頭でっかち”ポイント』みたいな、強い見出しで文を区切るのが、どうにも苦手になっておりました。
最近は、淡々と、思考の流れをつむいでいくような文体になってきました。
時間とともに文体も色々変わる。親だって変わります。
まだまだ文体の武者修行中です。

本文中で、娘の完璧主義的な性格にについて
書きましたけど、これって私の性格に少し似ているんですよね。息子の方に伝わった、「インドア的性格で集中力の高いところ」と並んで、「あっ、これ既視感ある!」みたいな。
最近見えてきた傾向で、これからまたどんどん変わっていくのかもしれません。子供達の性格も、私の仮説もね。

カレンダーはクリスマスですね。

「子供に親が残せる最高の遺産は教育である」という思いでずっと親をやってきた気がしますが、子供に個性が生まれるにつれ、親のできることは黒子にすぎないようになってきました。

それでも、これからも異様にパワフルな黒子を、引き続き目指したいと思います。

人の性格が長所にも短所にもなるのなら、できたら、「やる気の方は長所から引き出しつつ、短所の方には、それと意識しないくらい自然にカバーできるメソッドを染み込ませる」ような対応を、考えてあげられたらいいな、と思っていますのでね。

今日もありがとう。

では、またどこかで。

 

手紙


フリー写真素材ぱくたそ

『この手紙を読んでいるということは、ついに見つけてしまったんだね』

その手紙は、こんな文章ではじまっていた。

手紙を見つけたのは、ほんの偶然だった。クリスマスにむけてサンタさんにお手紙を書いて(今年のクリスマスプレゼントは、2歳児がお気にいりの汽車の押し車だ)、ひと息つこうとしたときだ。コーヒーをしまっている棚のうしろに、なにかが引っかかっているのが見えたので、僕はそっと手を伸ばした。

あやうく棚のうしろに落ちてしまいそうな手紙をかろうじてすくいあげて、いまこうして読んでいるというワケだ。

『いい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞き、いや、読みたい?』

なんだ、このハリウッド映画みたいなノリは……。僕は苦笑いしながらも「もちろんいい知らせからだ」とつぶやいた。僕が話しかけたと思ったのか、2歳児が「おうっ?」と返事をする。僕は「なんでもないよ」と声をかけ、ふたたび手紙のさきに目をむけた。

『やっぱりいい知らせを選んだね』

手紙はそう続いていた。まるで僕のことをよく知ってるみたいな口ぶりだな……。

『いい知らせというのは、こうだ。キミの横で汽車の押し車を楽しみにしている2歳児が、《今年は》自分でサンタさんに手紙を書いたということだ。しかも、漢字交じりでね』

いったいこいつはなにを言ってるんだ? 《2歳児》ってだれのことだ? それに、《今年は》って、いつの話なんだ?

『小学校での一年生ライフを、とても満喫しているよ。勉強も楽しいみたいで、宿題を自分からしてるんだぜ』

2歳児って、まさかこの子のことか? 僕はチラリと2歳児に目をやった。絶賛イヤイヤ期で、イヤイヤがはじまると手がつけられないこの2歳児が、宿題を自分からやるんだって?

『そう、その2歳児が、だよ』

僕は、いつの間にか手紙と会話をしていた。

『ごはんはいろんなものをたくさん食べるし、一度寝ると朝までぐっすりなんだぜ』

好き嫌いがおおくてぜんぜん食べてくれないし、なかなか寝なくて夜中になんども抱っこで寝かしつけしないといけない2歳児が?

『そう、その2歳児が、だよ』

手紙はさっきとおなじセリフを繰り返した。

それが本当なら(手紙には不思議な説得力があって、僕は半分信じかけている。そうあってほしい、という願望かもしれないけれど)、たしかにいい知らせだ。きっと、ずいぶん育児の悩みが減っているだろうという期待が持てる。

イヤイヤ、まてよ。まだ悪い知らせが残っているんだった。

『まあ、そう固くなる必要はない。悪い知らせにはちがいないけど、絶望的な知らせではないんだから』

それもそうだ。わたしはうなずきながらさきを読んだ。

『悪い知らせとは、こうだ。残念ながら、育児の悩みはいっこうに減らない』

えっ、なぜ? だって、イヤイヤ期は終わるし、ごはんはよく食べるし、夜もよく寝るんだったら悩み事なんてなくなってるんじゃないの?

『残念ながら、育児はそう単純ではなかったんだ。子どもの成長とともに解決する悩みもあれば、あたらに発生する悩みもあるのさ』

そういうものなのか。僕は思わずため息をつく。

『不安にさせてしまったかな?』

ああ、不安だらけだよ。

『そんなキミにひとつアドバイスがある』

おっ、さすが僕の気持ちをよくわかってくれるだけのことはある。アフターフォローもバッチリだね。

『大切なことは、人とくらべないことだ。家族構成、金銭的余裕、地域、年代が異なる人と育児のやりかたをくらべたところで、たいていは役にたたない。だってそうだろ? 運転手つきの車があって、ベビーシッターがいて、家事をぜんぶやってくれるお手伝いさんがいる家とくらべることに意味があると思うかい?』

まあ、そうかもしれないけど、ずいぶん極端なことを言うもんだ。

『たしかにさっきのは極端な例かもしれない。でも、人とくらべるっていうことは、大なり小なりそれとおなじようなことなんだよ。それに、ほかにも理由がある。子どもの性格や性質はひとりひとりぜんぜん違うという理由だ。これに関しては、もうすぐキミにもわかるだろう』

ん? なぜ、もうすぐ僕にもわかるというのだろう?

『ふたつめのアドバイスは、人のアドバイスを聞くときは話半分にする、というものだ。もちろん、このアドバイスも例外ではない』

なんだよ、それ!

『人のアドバイスを聞くことは大切だし、アドバイスしてくれるのはありがたいことだ。だから、感謝は全開、話は半分にするといい。なぜなら、さっきも言ったように、それがキミの家庭環境や子どもにあてはまるかどうかはわからないからだ。そうだろ?』

まあ、そういうものかもしれないな。

『それに、生真面目なキミのことだ。ひとつアドバイスがある、と言ったのにふたつめのアドバイスを言ってることも忘れて、真剣にふたつめのアドバイスについて考えているだろう』

手紙の言うとおり、僕はふたつめのアドバイスについて真剣に考えていた。そうか、話半分にっていうのはそういう意味もあったのか。

『最後のアドバイスだ』

僕は苦笑いする。なんだよ、けっきょくみっつもアドバイスがあるんじゃないか。

『育児にたぶん正解はない。みっともなくても不格好でもジタバタしつづけるしかないのさ』

ああ、そうか。身も蓋もないアドバイスにもかかわらず、僕はなぜかホッとした。未来のことなんてわからないんだから、けっきょくはジタバタするしかない、ということなんだろう。未来が、そして正解がわからないということがわかったので、かえって目のまえの現実に集中できるようになるのかもしれないな。

『これでアドバイスはおしまいだ。そしてこの手紙もおしまいだ』

えっ? もうおしまいなの? もっといろいろ聞かせて、いや、読ませてくれよ。知りたいことはたくさんあるんだ。

『それはダメだ。なぜなら、これから先のことは、キミが選んできめていくんだから。子どもたちといっしょにジタバタしながらね。願わくば、納得できる選択でありますように』

これで手紙は終わっていた。僕は手紙をおりたたんで、もとの封筒にしまった。そのとき、封筒のはしに、小さな字でなにか書いてあるのが目にはいった。

『もう気がついているだろうけど、この手紙を書いたのは……』

そのとき、エアコンの風がとつぜん強くなり、僕の手から手紙を吹き飛ばした。手紙はくるりと一回転すると、導かれるように棚のうしろにはいっていった。

あっ! 僕はいそいで棚のうしろをのぞきこんだ。ダメだ。すきまがほとんどないし、この棚は重くて動かせない。きっと、引っ越しをするときでもないと、あの手紙はとれないだろう。

でも、不思議と残念な気持ちはなかった。なぜなら、いつかまたあの手紙に会えるような気がしたからだ。

「とーたん」

2歳児呼んでいる。僕は棚から目を離し、2歳児へとむかった。

◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇

「おとうさーん」

7歳児が僕の手元をのぞきこんでくるので、僕は「なんだい?」とこたえた。

「なにかいてるの?」

「ああ、これはね。とくべつなお手紙だよ」

「とくべつなお手がみ? もしかして、サンタさんに?」

「そうだ! そろそろサンタさんにもお手紙をださないとね」

「あのね、お手がみの手は、かんじでこうやってかくんだよね」

「そういえば、昨日書いたサンタさんへのお手紙も、漢字で書いてたね」

「あたちもおてがみかきたーい」

「そうだね。4歳児も書こうか」

「おうっ」

「1歳児はまだ書けないから、お父さんがかわりに書こうね。よし、みんな、あっちでお手紙を書こうか」

僕は、3人の子どもたちをうながして歩きだした。コーヒーを置いている棚のまえを通ったとき、ふと思いだして右手に持った手紙を棚のうえに置いた。

その封筒には小さな字でこう書いてある。

『もう気がついているだろうけど、この手紙を書いたのは……』

〜Fin〜

しゅんたレンジャー、はるをさがす!《後編》

なつやすみ企画(きかく)しゅんたシリーズ 《しゅんたレンジャー、はるをさがす!》・後編(こうへん)

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ぜんかいの あらすじ

しゅんたは、かみひこうきや せんたいヒーロー(ひいろう)が すきな、しょうがくせい。
いもうとは、すぐに
「まいちゃんも、まいちゃんも!」
と、うるさいけど やっぱりなかよしです。
あるひ、がっこうの プリント(ぷりんと)で、『はるをさがそう の かい』というイベント(いべんと)の おしらせが はいっていました。
はるをさがすことと、スマホ(すまほ)と、チームでのミッション(みっしょん)。
ふしぎなくみあわせですが、いったいどんないちにちに なるのでしょうか?

▼ ここから おはなし ▼

ミッション(みっしょん)のひは、きもちのいい はれでした。さいきんは、あめも おおかったのですが、これなら あたたかくなりそうです。
しゅんたと まいと、おとうさんは、がっこうのこうていに あつまりました。
「おっ、しゅんたじゃん」
「おう、りょうすけ!」
りょうすけのうちも、さんかするようです。
こうもんのところで、てつだいのPTA(ぴいてぃいえい)の おとなたちが、せつめいのプリント(ぷりんと)を くばっています。

しゅんたたちは、くばられたプリント(ぷりんと)をうけとって こうていにあるいていき、かいちょうさんの はなしをききます。
「きょうは、よくあつまって くださいました。
この かぜむかいまちは、やまおくや でんえんというわけにはいきませんが、たくさんのしぜんが まちのなかにのこっています。
ふだんは みなれてしまって、きづかないかもしれませんが、きょうは、そんなちいさな はるのけはい・ちいさな はるらしさをみつけて、おとうさんおかあさんと きょうりょくして、ほうこくしてください」
「はーい!」

あつまったこどもたちが、いっせいに へんじをしました。しゅんたもしました。
がっこうをでると すぐにいもうとが、こうもんのわきの じめんをゆびさして こえをあげた。
「あった!」
コンクリート(こんくりいと)のすきまの、せまい つちに くさがはえていて、そこにちいさな あおいはな。これは……。
「おっ、まいちゃん、そうだね。これは〔おおいぬのふぐり〕だね」
「そう、それ!」
くそっ、おれもそれ、しっていたはずなのに。と、しゅんたが くやしがっているあいだに、おとうさんはスマホ(すまほ)でしゃしんをとって、がめんをそうさしています。

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「おとうさん、がめん、みせて!」
「いいよ。これが、いま とったしゃしん。これを、あらかじめログイン(ろぐいん)したがめんから、ネット(ネット)のコンピューター(こんぴゅうたあ)にほうこくするんだ。ええっと、はっけんしゃを せんたく『ピンク・ビオラ』(ぴんく・びおら)……」
「そう、まいちゃん! えっへん」
「しゅんた、がめんの このそうしんボタン(ぼたん)のことろ、『とんっ』てして?」
「おっけ!」

がめんがきりかわって、
《ほうこくされました》、《はっけん、ありがとう! ひきつづき よろしく!》 というメッセージ(めっせえじ)がひょうじされました。
「ようし、どんどんさがすぞ! そんで、つぎこそは おれがじぶんで さきにみつける!」
「しゅんとまいは、きょうそうしてもいい。だけど、ミッション(みっしょん)の じゅんいはっぴょうでは、チーム(ちいむ)なんだからね。そして、ほかのチーム(ちいむ)とは、じゅんいでは きょうそうだけど……」
「あっ、みっけ! おとうさん、ちょう もいいよね? むし! あそこ!」
こんどは しゅんたがみつけました。
「おっ、おう。じゃあ、しゃしんをとってと……」

こんどは、ほうこくしゃが『ネイビー・ファルコン』(ねいびい・ふぁるこん)になりました。
おとうさんが、『もんしろちょう』につづけて、『2ひきで からみあうように、ひがしからにしへと とんでいきました』とメッセージ(めっせえじ)を つけて、ほうこくのボタン(ぼたん)をトン(とん)しました。

「そうだ、おとうさん! いえのまえの うめのはなを とりにいこうよ! それから、かぜまちやま こうえんの もりへいこう!
おれ、ひゃっこくらいみつけたい!」
「おーい、まってくれー」
そのあと、〔うめ〕につづけて、〔もも〕、〔すいせん〕、〔てんとうむし〕、〔なのはな〕、〔たんぽぽ〕〔すみれ〕、と、どんどんみつけていきました。
オレンジ(おれんじ)いろの ひなげし、きいろい かたばみ なんかは、なまえはしらなかったけど、おとうさんがしらべてくれました。
〔つつじ〕のはなは、ひとつしか みつけられませんでしたが、しろい〔なずな〕のはなや、きいろの〔のぼろぎく〕などは、あちこちで みつけることができました。

〔ねこやなぎ〕、〔みつばち〕をほうこくするころには、ほうこく がめんの ちずのうえに、しゅんたたちが みつけたばしょの ピン(ぴん)のイラスト(いらすと)がいくつも たっていました。
それぞれのよこに とったしゃしんを ちいさくしたものも ひょうじされていて、がめんが ずいぶんにぎやかになった かんじです。

「あっ、おとうさん、これ、さくら! ……、つぼみも いいのかな?」
「いいとおもうよ。よし、ほうこくだ」
そうやって、さんにんが 43こめの ほうこくをしたとき、おとうさんが とけいをみていいました。

「そろそろ11じはんだ。こうていにもどらないと。しゅうりょうしきを やるはずだから」
「えーっ」
「まだやりたい」
と、しゅんたたちが ざんねんがりながら  こうていにもどると、しゅうりょうしきが はじまるところでした。また、かいちょうさんが、だんに のぼっています。

「そういえば、そろそろ いいかな」
おとうさんが スマホ(すまほ)をそうさして、ちずのがめんで「ぜんいんの ほうこくをみる」というモード(もーど)をよびだしました。
きゅうに、がめんぢゅうに ピン(ぴん)がなんびゃっぽんも あらわれました。

かぜむかいまちの、ちょうないぜんたいに、いろいろな こどもの あげたほうこくが、さまざまないろのピン(ぴん)で あらわされています。
しゅんたが、まだあそびにいったことのない こうえんにも、じょうほうのピン(ぴん)がいくつもたっていました。

はたけで ふきのとうを みつけているひともいたし、〔ほとけのざ〕や〔ひめおどりこそう〕、〔からすのえんどう〕を、はなもさいてないのに はっぱだけでみわけて、ほうこくしているこもいました。
(すげえ。みんな、すげえ)
しゅんたは おもいました。
(みんな、こんなに いろいろなところで、がんばっていたのか)

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「あっ、おとうさん、このしゃしんみせて!」
しゅんたは がめんのいっかしょを ゆびさしました。

(さくらだ。ちゃんとさいてる……)
すると、おとうさんが それをみて、
「ああ、これ、はたなかさんのところじゃないか。あそこのは『かんざくら』だからね。たしかに、もう さいてるかも」
と、いいました。

「ひこうき おじさん! そういえば、この ちずって、ひこーじさんのうちからも みられるの?」
しゅんたがきくと、おとうさんは、
「いま、さんかは してないだろうあ。でも、おなじ ちょうないに すんでいるから、しんせいしてもらえれば、IDとパスワード(ぱすわあど)を つくってもらえるとは おもうよ」
「パスワードって、スマホ(すまほ)のパスコード(ぱすこうど)みたいなもの?」
「そうそう。たいいんや まちのなかまだけが、それぞれちがう パスワード(ぱすわあど)で、あのちずの がめんにはいって、ほうこくしたり、みたりするんだよ」
「ふうん。なんだか、めんどくさいかんじ」

「かってなひとが、うそのことを かいたかもしれない、と おもいながら みなくてすむし、じぶんがうっかり かきまちがえたときに、そんなにおおぜいの ひとにみられるまえに、なおしたり けしたりできるから、わるいことばかりじゃないよ。

こんなふうに、ごちょうないの ひとだけがたのしめる くわしいじょうほうや、しっぱいすることもある こどもの さんかするイベント(いべんと)では、いいことも いろいろあるよ」
「なるほど、つかいわけ、ってやつだね」
「お、おう。そういうこと」

しゅんたたちのみつけた『はる』は、けっきょく43こくらいだったけど、このひに ぜんいんがみつけたぶんを あわせたかずは、ひゃくなんてかるくこえていた。

しゅんたは、ただ「いちばん」になりたくて がんばっていただけだったけど、みんなが がんばったぶんを、こうして みんなでみられるばしょに あつめると、ひとりひとりでやっていたことよりも、もっとすごいことになっている。

「そうだ。あと、こんなこともできるよ」
おとうさんが がめんを そうさして、「べつのとしの ほうこくをみる」というボタン(ぼたん)をえらびました。

「この『はるを さがせ ミッション』(みっしょん)は、このまちで 5ねんまえからはじまったんだけど、その5ねんかんの ほうこくが、ぜんぶ とってあるから、それをちずのうえに もういちど うつしだすこともできるんだ。
たとえば、これは だい1かいの ときのだから、ほうこくしてる ひとのなかには、もう しょうがっこうを そつぎょうしちゃってる ひともいる。そんなひとたちの ほうこくも、のこっているんだ」

おとうさんは、1ねんめから、2ねんめ、3ねんめ、と、じゅんばんに ねんをきりかえました。おなじばしょの ちずなのに、まいとし、ほうこくされている「はる」のしゃしんがかわります。
「あっ! このひと、おれと おんなじところで、たんぽぽを ほうこくしてる!」
「ほんとだ。このあたりに、まいとし よくさくのかな? それにしても、ぐうぜんだね」

こうして、たくさんのピン(ぴん)やしゃしんを みているだけで、いろいろなことに きづけそうで、しゅんたはドキドキ(どきどき)してきました。

「おとうさん、これ、いえにかえって、パソコン(ぱそこん)のがめんで みてみてもいい? そのほうが、おかあさんにも、おれのみつけた『はる』を おしえるときにも、みせやすいしさ」
「いいよ。ちゃんと、4つのやくそくを まもってな」
「うん! あっ、そうだ! あと、おひるごはんたべたら、ひこーじさんちの、『かんざくら』みにいきたい! いいでしょ?!」
きょうの みんなのおかげで、「ただのくさ」だと おもっていたものが、じつは はるのしるしだということが わかりました。

みんなで ちからをあわせると、わくわくがひろがる。
しゅんたは、なんだか まちきれないきぶんになって、いえへのみちを はしりだしました。

(おわり)

(おはなし、おわり。よんでくれて、ありがとう!!)

大人の後書き

「コンピュータやネットのことを子どもにわかりやすく説明したい」。
第1週目のあとがきでもちらりと書いた思いです。

そういうことを考え始めると、自然と自分にも、いろいろ入ってくるようになります。

NHK教育の『スマホ・リアル・ストーリー』みたいな番組を見つけたり。
スマホ・パソコン・SNS よく知ってネットを使おう! こどもあんぜん図鑑』みたいな本を読んでみたり。

ただ、これらはどうしても「『高学年向け』なんだよなあ」という感じもまたしました。

これを、そのままま低学年の子に「いつかのために、読んどきな」と渡すのはむずかしい。
情報の一時可負荷量も、ネガティブ耐性も、あそこまでのものは期待できないし。

ちょうどいいのが、ないものかなあ。

生まれたときから、自然にインターネットが身近にある世代のものがたり。

(「あるわけないじゃん。小学生でブログやったり、インターネットやってるやつなんて、そんなにいるわけないんだから。俺たちが最初にきまってるよ」)

と、しゅんたの声が頭の中に聞こえてきて、それでこのお話が生まれます。

いつか、追加エピソードを書いたり、本にまとめたりできたらいいなあ。

そして、イラストは、Koi-fumiさん(@koi_okasira)が今週も描いてくださっています。
⇒Koi-fumiさんのブログ『http://blog.livedoor.jp/koi_fumi/
(というわけで、この記事及び企画中のコンテンツのcopyrightは、fmjのクリエイティブコモンズライセンスにかかわらず、文章は私いっきに、絵についてはKoi-fumiさんに属しています)

さまざまに活動をしておられる人ですので、このシリーズを通して、koi-fumiさんの絵にもご興味を持っていただけたなら、(この企画が最初で最後になってしまいましたが、)fmjの場を借りた甲斐もあったというものです。

それでは、また。
いつかどこかで。

いっきでした!

– – – – – – – – – – – – – –

ごあいさつ

ファミリーマネジメントジャーナル代表、くらちのりこです。

このお話をいっきさんが書いてくれていた頃はまだ「ポケモンGo!」はリリースされていませんでした。大人と子供が連れ立って、スマホを通じて遊びに興じることが本当に現実になっています。子供たちにインターネット上での振る舞いを、身を守る術を、つながりの楽しさとともに学んでもらう必要が出てきました。

さて、今日で最後の更新になりました。
4年に渡って運営できたのは読んでくださった皆さんと、集まってくれた執筆者のみなさんのおかげでした。本当にありがとうございました。

2016年 夏の日に。

しゅんたレンジャー、はるをさがす!《前編》

なつやすみ企画(きかく)しゅんたシリーズ 《しゅんたレンジャー、はるをさがす!》・前編(ぜんぺん)

▼ ここから おはなし ▼

「じゃあな!」
「おう、あしたな!」
 がくどうなかまの りょうすけと わかれて、しゅんたが いえにはいると、きょうは、いもうとと おかあさんが さきにかえって、ジャンバー(じゃんばあ)をぬいでいるところでした。

「どっちが テレビ(てれび) さきか、じゃんけーん、ぽん」
 『いまから ゆうごはんまでのじかん』か、『ゆうごはんのあとのじかん』か、どっちがさきに、じぶんのすきなばんぐみを ビデオ(びでお)からみるか、じゃんけんです。
 
 
 
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「おっしゃあー!」
「むう!」
 きょうは しゅんたが、かちました。
 いもうとの「まい」は、さいきん、さいほうそうの「マジカル・プリンセス」(まじかる・ぷりんせす)が きにいっているようで、よくテレビ(てれび)のじゅんばんの とりあいになります。
 しゅんたは「せんたいもの」のテレビ(てれび)がすきです。

 もうすぐ3ねんせいなので、「ドラえもん」(どらえもん)や「せんたいもの」のテレビ(てれび)をみているとか、すきだということを はなすと、ばかにしたり からかったりしてくる ひともいてくやしいですが、おもしろいおはなしは、おもしろいのです。

 ドラえもんで、あたらしいどうぐを いろいろなものに つかったときに、つぎになにがおこるのかを みまもるときには わくわくします。
 せんたいには、きのよわいグリーン(ぐりいん)や、ちょっといじわるなブルー(ぶるう)もいるのに、みんなが せかいへいわをめざすなら、みんないっしょに チーム(ちいむ)のなかで なかよしになれるところは、みていてうれしくなってきます。

 さて、そうしているうちに おとうさんもかえってきて、いえのなかが にぎやかになってきました。
 おとうさんが しゅんたのランドセル(らんどせる)からとりだしたプリント(ぷりんと)をみながら、しゅんたにきいてきました。きょうの ゆうがたのかいで、たんにんの おおやませんせいが くばってくれていたものです。
「しゅん、この『はるをさがそう の かい』って、やってみたい?」
「やりたい! おとうさんもいけるの?!」
「そうだね。こんかいは いってみようかな」
「やった!」

 おとうさんもおかあさんも いそがしいので、こういう ちいきやPTA(ぴいてぃいえい)のもよおしには、なかなか、いつもはでかけられません。
 しゅんたは、むしやはなを みるのは すきだったので、こんかいのもよおしに おとうさんがでられる というのはラッキー(らっきい) だとおもいました。

「まいちゃんもいく!」
 そのとき、いっしょにテレビ(てれび)をみていた いもうとのこえがしました。

「だめだよ。だってこれは、しょうがくせいのための かいなんだから……」
 と、しゅんたは、おしえようとしました。「えーっ!」
「いや、だいじょうぶっぽいよ。プリント(ぷりんと)のここに さんかにんずうを かくようになっているから、たぶん がくがいのこも、おにいちゃんといっしょに さんかかのうだよ。

 ところで、さんかしたい こどもは、この もうしこみようしに、『すきないろ』と『すきなどうぶつか くさばな』の なまえを かいておかなきゃいけないんだってさ」
「じゃあ、まいちゃん、ピンク(ぴんく)と すみれ!」
「うーん、おれは、ハヤブサ(はやぶさ)かな。色は……、あおっぽいやつ。むらさきっぽくて、こい あお」
 いいながら、しゅんたは さいきん かってもらった ノート(のうと)をゆびさしました。
「ああ、じゃあ『こんいろ』かな。
 よし、じゃあ、かいて れんらくぶくろに いれておくよ。つぎのつぎの どようびには、おとうさんのスマホ(すまほ)で、『はるをさがせ!』ミッション(みっしょん)だ」
「おー!」
「おー!」
 しゅんたは いもうとといっしょに、てをうえに いきおいよくあげて、へんじをしました。


 いっしゅうかんご。
 せんせいがプリント(ぷりんと)を くばるじかん。ぜんいんにではなく、なまえをよばれて うけとったふうとうが ありました。
『はるを さがせ ミッション! しゅんたたいいん、まいたいいん』とかいてあります。
(あっ、これ、このまえ もうしこんだやつだ!)
 しゅんたが そうおもっていると、せんせいは、
「うん。それ、おうちのひとと、よんでね」
 といいました。


 そのよる。おとうさんが ふうとうをあけると、なかから、
『ネイビー・ファルコン(ねいびい・ふぁるこん)とピンク・ビオラ(ぴんく・びおら)と、準隊員のおとうさんへ』
 と、かかれたてがみが でてきました。
「おとうさん、ここのかんじって、なんていみ?」
「じゅんたいいん、というのは…。スペースウォーズ(すぺいすうぉうず)でパイロット(ぱいろっと)についてまわって、おてつだいしているロボット(ろぼっと)や、マジカル・プリンセス(まじかる・ぷりんせす)のおともをしている、ふしぎなどうぶつが いるだろ?
 らいしゅうの はるさがしミッション(みっしょん)では、おとうさんはそんなふうに、しゅんたたいいんとまいたいいんを、スマホ(すまほ)をつかって サポート(さぽうと)しなさいね、ってことだな」
 
 
 
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「ふうん」
 しゅんたはいいました。そうか。じぶんたちが、しゅやくなのか。
 おとうさんは、てがみのつづきを よみながら、ポケット(ぽけっと)からスマホ(すまほ)をとりだしました。

「ふむ。『じゅんたいいんは、レンジャーズ(れんじゃーず)をサポート(さぽうと)するため、じぜんに つぎのサイトにはいって、ID(あいでぃい)とパスワード(ぱすわあど)にひもづいた レンジャーズネーム(れんじゃーずねいむ)が ただしいか、かくにんしておいてください』か。なるほど」

「ねえ、おとうさん。
 らいしゅうのミッション(みっしょん)で はるをさがすときには、おとうさんのそのスマホ(すまほ)、つかうんでしょ? おれも、ちょっと、さわってみたいなー、なんて」
「うーん、いまは まだまってね。とうじつまで、みせるなってかいてあるから」
 と、おとうさんは すこしこまったかおを みせていいました。
 
「オッケー(おっけい)、わかった。らいしゅうだね」
 みんながみつけた、はるの むしやはなを、ほうこくして どんどんあつめていく。そうすると、どんなことがおこるのでしょうか? しゅんたは、だんだんワクワク(わくわく)してきました。

「よーし、たくさんみつけて、いちばんになるぞー!」
「そうだね。まずはそれをめざすといいね。いちおう、しょうひんもでるみたいだし」
 しゅんたのようすをみて、おとうさんも たのしそうに スマホ(すまほ)のがめんを とじました。

(きょうは おはなし おわり。らいしゅうに つづくよ)

大人の後書き

先週・先々週に続きまして、こんにちは。
ネット「おはなし書き」の いっき(@ikkiTime)です。

しゅんた第2エピソード、『しゅんたレンジャー、はるをさがす!』をお送りしています。

イラストは、『しゅんたのかみひこうき』に引き続き、Koi-fumiさん(@koi_okasira)が描いてくださっています。
 ⇒Koi-fumiさんのブログ『http://blog.livedoor.jp/koi_fumi/
(この記事内のコンテンツのcopyrightは、文章は私いっきに、絵についてはKoi-fumiさんに属しています)

この「しゅんたの物語」が、頭に住み始め、「出してやらなければなあ」と思い始めたのは、まだ、春にもならない冬のころでした。

それに先だつ数ヶ月前。
我が家にゲームがやってきていました。
現代のゲーム機には、ケーブル対戦ではなく、無線によるハード同士の通信や、ネットワークへの接続を経由したインターネットブラウズの機能もあります。
私も人の子の親ですから、
「18の約束」を検索してみたり、
「保護者による使用制限機能」について調べて、そもそもどれだけの機能がその本体に備わっているのかを確かめたりしていました。

そこまで考えたうえで……。その時点の正直な感想は、
「あー、だめだ。小学生低学年に18項目全部説明するのは、しんどすぎる……」
といったものでした。

しゅんたのうちの、「きまり」が4つなのも、おんなじようなことをお父さんが考えたからなのかもしれませんね。

それではまた、後編でお会いしましょう。

いっきでした。